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1-4

Auteur: 酔夫人
last update Date de publication: 2026-02-22 10:42:54

花江さんが俺の前に椀が置くと、母さんの顔が不機嫌そうに歪んだ。

一応これは心配している表情なのだろうが、表情筋が不器用なため『不機嫌』にしかみえない。いや、不機嫌もないわけではないか。母さんは俺の夕飯が気に入らないのだろう。

俺の夕飯の内容はいつも、野菜も肉も魚も原型にないほどドロドロに溶かしたスープに少量の米が入った雑炊。離乳食のような見た目のこれが、俺がいま、恐らくこれからも食べられる唯一のもの。

いや、他でも食べることはできるから、『消化できる』が正しい表現。

草薙グループの副社長として会食の席に招かれれば、食べないなんて不作法はできないから食べるのだが、数時間後には吐いてしまう。酒の席は気が重い。酒を飲むと胃が焼けるように痛む。

周りが煩いので医者にも診せたが、検査の値が全て正常値というわけではないが医者には『問題ない』と言われた。食べると吐くという『異常』は身体的なものではなく心因性のものと診断され、心当たりがあった俺はその診断を受け入れている。

心当たりは、北海道の【彼女】のアパート。

ろくに食事もできていなかったことが分かる、貧困を具体化したような【彼女】の生活環境を目の当たりにしたから。

·

北海道にある【彼女】のアパートは狭く、古かった。

警察が【彼女】の死を『他殺性なし』と判断したあと、俺は警察に頼み込んで【彼女】のアパートに入れてもらった。年頃の女性の部屋とは思えない、がらんとしていて、ほとんど何もない部屋。

あった家電は、部屋に据え付けのエアコンと床にあった炊飯器。冷蔵庫すらない台所の流しのカゴには、一人分の食器。見つけた食材は、生米と値引きシールの貼られた野菜、半分使われて五個残った卵---それだけ。

ゴミ箱には、缶詰めの空き缶がいくつかあった。食塩不使用というラベルの文字が、【彼女】が腹の子のために頑張って食事をしていたことを俺に想像させた。

.

警察が··を俺に見せたのは、俺に対する同情だけではなかった。五百万円と少し。そんな彼女の貯金残高と、この貧困生活のギャップを埋める必要が警察にはあった。

警察に金の出どころを問われて、俺は「知らない」と答えた。俺が知らなかったのは真実。でも、想像はついていた。

あの五百万円の出どころと、【彼女】がそれを使わなかった理由は……。

 ガッシャーン

離れのほうからガラスの割れる音がした。

「……また修理業者を呼ばないとな。花江さん、頼んでもいいかな」

花江さんは頷いたあと、母さんを見た。母さんは、唇を噛んでいた。また、沈黙。

「あなた、なぜ聞かないの?」

我慢比べは、俺の勝ち。我慢比べは後ろめたさが少ないほうが勝つ。そして勝てば、この先の会話の主導権も持てる。

「何を聞いてほしいのです?」

質問に質問で答えた俺に、母さんが苛立つのが分かったが、それに満足感も、ましてや勝負に勝てた満足感も、高揚感すらない。ただ、虚しい。俺と母さん、いい年した二人が何をやっているのかという呆れた思いがトンッと俺の心に乗っただけだった。

·

あの五百万円を【彼女】に渡したのは、母さんか綾子だとは思っていた。なぜなら、【彼女】を邪魔に思っていたのは俺の知るうちではこの二人だけだったから。

どちらかといえばで綾子、もしくは綾子と組んでだと思っていた。だから、母さん単独は多少は意外ではある。

問題は、母さんが何を知っているのか。

母さんは、俺の綾子への態度を知っていても何も言わない。綾子があれだから草薙の後継者は一族から養子を迎えると言っても、母さんは反対しなかった。草薙を一番に考える人だから離婚を勧めると思ったけれど、それをしなかったから多分『それなり』に知っているのだろう。

もしかしたら、『それ以上』……この『それ以上』が俺の苛立ちの原因。

新たなパズルのピースを手に入れることに、かなり時間がかかったことへの苛立ち。

でも、それが我慢絵来たのは、俺がほしいのは真実だから。母さんの保身で真実が歪められては堪らないから、ずっと堪えてきた。そして、これからも耐える。最後のピースをはめる、その瞬間まで。

.

「あの子は、あなたに会いたいと会社に来たの」

「いつ?」

「あなたがアメリカに出張していたとき。あまりに必死で困っていると、受付から私のところに連絡がきたわ。だから私があの子に会った」

この『だから』は理由が足りない。でもいま重要なのは、それではない。

「【彼女】はなんて?」

「お金を貸してほしい、と。まとまったお金がいる。安全なところから借りられないから、他に当てはないから貸してほしいと言っていたわ」

母さんは、一息ついた。

「あなたに代わって私が払うと言ったわ。あなたに二度と会わないことを条件にね」

「典型的な手切れ金だな」

「そうね。息子が結婚を期待させたお詫びだとと言って、五百万円をその場で彼女の口座に振り込んだ」

結婚を期待させた、か……。

なんでそんなことを言った? 

そもそも、なんで手切れ金を払おうとした?

母さんは、分かっていたんだ。【彼女】は違うって。母さんが思っていた金目当ての女ではないと分かっていた。それなら―――。

「【彼女】は、俺の子を妊娠していたことは言わなかったのか?」

母さんは頷いた。その表情は、悔しそうだった。

「言ってくれれば、私はあの子·『金目当ての女』と思えたのに」

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